特別天然記念物ニホンライチョウ

独り言、「ニホンライチョウは特別天然記念物」  古林賢恒

Wikipediaでニホンライチョウを紐解くと、「保護の歴史」の項に以下のような記載がある。
 江戸時代よりずっと以前から山岳信仰登拝者に知られ、神秘性を帯びた「神の使者」の鳥とされていた(『ライチョウ・生活を飼育への挑戦』、大町山岳博物館、信濃毎日新聞社、1992)。明治以前は、宗教的な殺生禁断の戒律により人により捕獲されることは少なかったと考えられている。
 明治時代 になると、 西洋思想の流入と狩猟具の発達に伴い、狩猟が行われていた。
 1923年(大正12年)ライチョウが、史蹟名勝天然紀念物保存法により天然記念物に指定された。
 1955年(昭和30年)ライチョウが、文化財保護法で特別天然記念物に指定された。
 1965年(昭和40年)ライチョウが、絶滅の恐れがある鳥類の譲渡等の規制に関する法律により特殊鳥類に指定された。
 1969年(昭和44年)3月31日 、鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律により、白山周辺の山域が白山鳥獣保護区に指定された。
 1984年(昭和59年)11月1日 、鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律により、北アルプスの主要な山域が北アルプス鳥獣保護区に指定された。
 1993年(平成5年) 4月1日、 種の保存法により、国内希少野生動植物種に指定された。
 2010年(平成22年)11月、現在、各県で絶滅危惧種となっている。新潟県・富山県・山梨県・岐阜県はI類。長野県・静岡県はII類。石川県では、絶滅種となっている。
 
 形式的な保護の過程はわかったが、文化財保護法で特別天然記念物に種指定された経緯についての仔細を知ることが出来なかった。当時の関係者に聞いてみることが出来なかったので、勝手なままに私の考えをつぶやいてみることにした。詳細のわかる御仁を待っている。

氷期の「寒冷乾燥期」、間氷期の「温暖湿潤期」
 最終のウルム氷期は7万5000年前から1万1000年まで続いた。当時の地層に堆積する花粉の分析を通してこの時期の気候の変動を推測した研究結果を見ると、間氷期においても亜間氷期と呼ばれる顕著な気候変動が9回にわたって認められ、その変動は早いときには亜間氷期に向かう温暖化の速度が、10~20年間で年平均気温にして5~7℃も上昇したとしている。
 図は、若狭湾に面した福井県三方湖の湖底の堆積物に見られる花粉分析の結果である。グリーンランドにおける氷河の分析からみた気候変動の結果と対比しながら、寒冷地に適応している針葉樹の花粉の出現率と気候の変動の関係に強い相関が認められることを発見した。寒冷化すると針葉樹の花粉の量が増加し、温暖化すると減少していることがわかった。
 「寒冷乾燥期」、「温暖湿潤期」が繰り返された結果、植物の生態や分布域に大きな影響を及ぼしたことを物語る貴重なデータといえる。同じことが、世界各地で発見されている。

 気候の変動により、北方系の植物と温暖性の植物は南北に移動を繰り返したであろうし、また標高を上下に往き来したことが想像される。移住が妨げられた場合には絶滅し、避難場所(リヒュージア)があれば、逃避し、残存することが出来たことになる。

 もし、平均気温が7℃低下したとすると-最終氷期の地層から-
 もし、平均気温が7℃低下したとすると東京の平均気温は8℃となり現在の札幌とほぼ同じになる。札幌は0℃となり現在の西シベリア並みになる。
 東京都中野区江古田妙正寺川の流域から出没した地層は最終氷期の地層と考えられているが、オオシラビソ・エゾマツ・コメツガ・カラマツなどの北方系の針葉樹に混じってブナやミズナラなどの冷温帯落葉広葉樹の化石が発見されている。
 北海道では大雪山系、忠別川中流の海抜400m地点で最終氷期の堆積物が発見されている。その花粉群からハイマツ群落にグイマツが疎らに混ざっていた。このことは、当時の森林限界が現在の1600mよりも1200mも低いことを示唆している。
 さらに北海道では、凍土地帯が続き、草原ステップやエゾマツ・グイマツを優占する樹林ツンドラが広く分布していたと推測されている。でも最終氷期にかかわらず渡島半島では積雪があったと推測され、森林が分布し、そこに多くの生物が避難していたと考えられている。

現在の植生
 氷期が去った後、気温は変動を繰り返しながら上昇していった。後氷期におけるヒプシサーマル(6300年前、最高温度期、現在より3℃高い)を迎えた後、上下変動を繰り返しながら低下し、現在の気温になった。

 日本海への対馬暖流の流入は8000年以降に本格的になったとされ、それに伴って温暖で湿潤な気候が日本海側に戻ってきた。現在の植生は、氷期後、数度の気温の上昇を伴いながら約1万年の間に出来上がったことになる。

南北に長い弧状列島-亜熱帯から亜寒帯まで-
 南北に細長い弧状列島、地形が複雑急峻な故に、植物の生活の場も変化に富む。日本列島には亜熱帯から亜寒帯まで約5000種の高等植物が生活している。これらの植物の生存適応戦略には学ぶべきことが多い。これらはまたの機会に譲りたい。
 「寒冷乾燥期」、「温暖湿潤期」という気候の変動が繰り返されることで、日本列島の自然の大まかな動きが読み取れた。
 現在の高山帯の地形をはじめとした環境にもその移り変わりの影響を受けた痕跡が各所に残っている。植物を餌として生き抜かなければならない動物たちは、ただただ右往左往しなければならなかった。
 あの緩慢な動作の持ち主が天敵から逃れ、寒さ・暑さから身を守りながら生きのびる力はどこに秘められていたのだろうか。
 その謎を科学的に解明する御仁はどこかに居られるだろう。
 私は何かわからない神秘的な場に佇むだけで満足している。
 ニホンライチョウが棲む厳しい高山環境、一歩間違えば命を落とす場となる。時間をかけて重たい荷を背に山登り、別に罰ゲームをやっているわけではない。静寂で神秘さをたたえる現場に佇むと誰しもが強い感動を覚える。
 その道すがらに出会うことが出来た草花は、美しい花を咲かせて疲れを癒してくれる。その草花に蜜を求めて群がる昆虫たちの生きる美しい姿にまた感動を覚える。
 ガスがかかり冷気に包まれながら黙々と歩き続ける。突然目の前に現れる妖精。よちよち歩きの雛をつれたライチョウ一家。
 必死で生きている姿に勇気を与えられる。日陰で暑さに耐えるライチョウ、耳を澄ませばハアハアという息づかいが聞こえてきそうだ。
 同じ場に何度訪れても、そのたびに新たな感動を与えてくれる自然の営みに感謝したい。
 誰も高山の花を摘むことはしない。花はいつしか実を結び、またわれわれを楽しませてくれるからだ。花に群がる昆虫を捕まえようとしない。花粉を交配し、健全な自然を持続させる役目を知っているからだ。
 高山で繰り広げられる生き物の営みは、都会の場で行われている人間の営みと変わらないことに気づく。寄り添いながら他人のために身を焦がしたり、また他人から世話になったりと。自然とふれあいながら、自身の自然を見る目、考え方一つによって、生き物たちの行動のとらえ方に変化が生じてくることに気付く。若い頃、中年になって、年老いてと自身の背中に背負うものが変わるにつれて自然との会話の違いに気付くことが多くなる。自然は色々なことに気付かせてくれる場だ。だから、自然が多様であればあるほど、その神秘さに感動し、畏怖の念に駆られることとなる。
 ライチョウは江戸時代よりずっと以前から山岳信仰登拝者に知られ、神秘性を帯びた「神の使者」の鳥とされていた。捕虫網を持っていけば、簡単に捕まえることが出来るライチョウ。一昔前には、お腹を満たすために追いかけられていたかもしれない。
 頭数が少なくなって何か歯止めが必要になった。ひょっとしてニホンライチョウが特別天然記念物になっている理由なのかもしれない。
 地球の厳しい変動に適応しながらやっとの思いで生き残ったライチョウ。その現場に立つと色々なことを語ってくれる。そのスケールの大きさに感動を覚える。高山に生き残った生き物たちの代表としてニホンライチョウに特別天然記念物という表彰状はふさわしいと思う。