いとしのMr.Blue

 とはいえ。

「お前等じゃあ何ができんだよ」という意見もごもっともなのです。

 一つ答えられるとするならば、小池都知事がおっしゃったように「お願いをさせていただく」ぐらいでしょうか。

 何を、と言えばできるだけ地球温暖化にブレーキをかけるような生活を心がけるです。

 今回のCOVID-19の問題でわかったことは、日本人(日本国内に住んでいる人という意味で、人種は問いません)はやはりよく言えば協調性のある国民性、悪く言えば同調圧力の強い国民性だと思います。

 悪い方向へこの特徴が出ると、自粛警察だとかいじめの問題が出てくる。良い方向に出てくれば、災害をなんとか乗り切ることができる。

 が、なぜか、環境問題に関して言えば、この性質が少しなりを潜めます。主張は様々ですが、たとえば「経済と科学技術の発展が最優先」とおっしゃる方もいます。

 それは私もそうであってほしいと願いつつも、「でも、私たちはこの複雑怪奇な地球環境というモノに生かされているのだから、それを大事にする気持ちを持つと、もっと幸せに暮らせるんじゃないでしょうか?」と言葉を添えるのです。何を優先するかはその人の自由ですが、ベースには地球があるのです。

 もう一つには、私たちが生活インフラが必要なようにライチョウにもインフラが必要です。ここに着目してはいかがでしょうと提案できます。

 環境省の方々はシカの問題やクマの問題について、人と獣の間に立って、妥協点を探る努力をずっと続けてこられました。しかしライチョウに関しては人との対立がないので、増やすことしか考えられなくなってしまっているように思います。

 下界で繁殖させようが現地飼育しようが、ライチョウが帰るべき自然のインフラ整備は必要です。

 高山の登山道を雨の日に歩いたことはあるでしょうか。まるで川の中を歩くようです。登山道が水の通り道となって、高山植物の土台になる土壌を浸食しています。ライチョウの採食植物、営巣環境も(全部とは言いませんが)登山道の浸食で失われているかもしれません。私が研究していた上ノ岳もずいぶん登山道の浸食が進み、まるで滝のようになっている。ずっと昔に作られた木の堰堤も為すすべがないようです。

 私たちはライチョウに必要な環境とは何か、ずっと調べ続けています。それによって、登山道はどこを通すのが良いのか、どう整備すべきか、明確に検討できるでしょう。ライチョウの為にインフラ整備する事が、国民のために豊かな自然を残すことになるのです。

アダムとイブ

 中央アルプスでライチョウが見つかったり、白山でライチョウが見つかったりしている…というのはなかなか興味深いのですが、彼らの個体群がもしも存続しているとしたら、あれらの山域の私たちに見えていないどこかに、少なくとも成熟した雄雌が何十羽もいるのではないかという話になります。

 でなければ、誰かがこっそり移送しているかです(かなり手間ですが)。

 確かに鳥は長生きです。オカメインコも環境さえよければ20年生きます。野生生物の寿命を調べるのは困難ですが、しかし、木曽駒ヶ岳で発見された個体が何十年も生きているということは考えづらいです。

 見かけなくなったということは、それなりに数が減っているのではないか。ということは、健康で長く生きられる環境ではないだろうということです。

 仮にもし見つかった個体が1羽で、それが最後の1羽だったら、地域絶滅を免れていたと言えるでしょうか?

 日本のトキの最後の一羽のことを思い出してみてください。あの時、議論になったように、つがいが居なければ種として存続できないのでアウトです。

 では、雄雌の二羽がいれば復活できるのか? アダムとイブとして、子孫を残し、その後繁栄していくでしょうか?

 もう一度、トキの話を思い出してみると、日本のトキが絶滅したのは、日本の水田環境に依存的だったためでした。水生生物や虫の少ない効率的な稲作を行ったから減ったとするなら、トキの復活と旧来の稲作とワンセットで行って、初めて「再導入」に至ったのです。

 ライチョウで同じことはできません。ライチョウが依って立つのはライチョウとともに日本に取り残された周北極地域の自然だからです。これは、私たちが作ったものではありませんが、私たちの活動が影響を及ぼした可能性はあります。ライチョウ保護とは日本の高山生態系保護そのもののことです。

 中央アルプスに、他の山岳から有精卵を持ち込んだとして、それが孵化して定着しても、増えることはないでしょう。数が増えても、それを養える環境がなければまた減るのです。単に元の山岳のライチョウ個体群と中央アルプスの環境にダメージを与えているだけです。

 環境省もこの不合理をわかっていると思うのです。しかし、何かやらなければならないから、仕方なしにやっている。だとすれば、山を守る人たちは、そろそろこのことを怒らなければいけないと思うのです。