中央アルプスでライチョウが見つかったり、白山でライチョウが見つかったりしている…というのはなかなか興味深いのですが、彼らの個体群がもしも存続しているとしたら、あれらの山域の私たちに見えていないどこかに、少なくとも成熟した雄雌が何十羽もいるのではないかという話になります。
でなければ、誰かがこっそり移送しているかです(かなり手間ですが)。
確かに鳥は長生きです。オカメインコも環境さえよければ20年生きます。野生生物の寿命を調べるのは困難ですが、しかし、木曽駒ヶ岳で発見された個体が何十年も生きているということは考えづらいです。
見かけなくなったということは、それなりに数が減っているのではないか。ということは、健康で長く生きられる環境ではないだろうということです。
仮にもし見つかった個体が1羽で、それが最後の1羽だったら、地域絶滅を免れていたと言えるでしょうか?
日本のトキの最後の一羽のことを思い出してみてください。あの時、議論になったように、つがいが居なければ種として存続できないのでアウトです。
では、雄雌の二羽がいれば復活できるのか? アダムとイブとして、子孫を残し、その後繁栄していくでしょうか?
もう一度、トキの話を思い出してみると、日本のトキが絶滅したのは、日本の水田環境に依存的だったためでした。水生生物や虫の少ない効率的な稲作を行ったから減ったとするなら、トキの復活と旧来の稲作とワンセットで行って、初めて「再導入」に至ったのです。
ライチョウで同じことはできません。ライチョウが依って立つのはライチョウとともに日本に取り残された周北極地域の自然だからです。これは、私たちが作ったものではありませんが、私たちの活動が影響を及ぼした可能性はあります。ライチョウ保護とは日本の高山生態系保護そのもののことです。
中央アルプスに、他の山岳から有精卵を持ち込んだとして、それが孵化して定着しても、増えることはないでしょう。数が増えても、それを養える環境がなければまた減るのです。単に元の山岳のライチョウ個体群と中央アルプスの環境にダメージを与えているだけです。
環境省もこの不合理をわかっていると思うのです。しかし、何かやらなければならないから、仕方なしにやっている。だとすれば、山を守る人たちは、そろそろこのことを怒らなければいけないと思うのです。