ライチョウと温暖化

縄文時代は今より暖かかったのにライチョウは絶滅しなかったんだから、温暖化なんて関係ないさという、ちょっとすごい言説を目にしたのでこれについて申し上げたい。

日本列島全体でみたとき、東北の山や関東の山では過去の温暖期にライチョウがいてそして絶滅した可能性がある。というのは、私の通う日光のあたりでも秋田でも高山植物(周北極性の植物)は見られる。けれどもそれは北アルプスに比べれば小規模である。過去の氷期にはもった大規模だったでしょう。そしてその頃、日光や秋田にライチョウがいたとしてもおかしくはない。

縄文時代のライチョウと周北極性の植物に何が起きたか。

富山大学の山崎先生のグループによれば、ライチョウの遺伝子を糞から調べた結果、縄文時代の温暖期に立山のライチョウたちは一度数を大きく減らし、遺伝的多様性を失った後に再び増加した可能性が高い、というのである。つまり、打撃を受けているのである。またこの時、絶滅した個体群はもはや調べることもできない。

縄文海進の頃の温暖化というのは今進行している温暖化とは本質的に異なる。私も数年前にしっかり調べるまで誤解していた。

どのぐらいかというと。

太陽光で水を温めるのと、ガス火でお湯を沸かすぐらい違うのである。数千年かかって温暖化と100年で温暖化、これに対する生物の反応を考えてみよう。

数千年かけて数度気温が変化するとなると、それに合わせて生態系も動いていく。北アルプス立山の植生も変化したようだ。ライチョウは高山へ逃げ込むことができた。高山植物も高山で耐えられた。ただ、ここで周北極性の植物とライチョウは二つの多様性を失う。種多様性と遺伝的多様性である。

もっと沢山の高山植物がかつての日本にはあったはずだが、温暖期を通じて暖地の植物に住処を奪われて失われた。例えばキタダケソウは北岳の高い峰でごく僅かに生き残り、他では消えてしまったと考えられる。こうして、環境の変化に耐えられた生物、耐えられなかった生物がふるい分けられていく。これが種多様性の喪失である。

そして、遺伝的多様性である。その地域の個体数が減ると近親婚になる確率が増えて、集団の遺伝子が多様性を失う。するとどうなるかというと、病気A、Bへの抵抗遺伝子のようなものがあったとして(雑な説明すみません)、Bへの抵抗遺伝子を持つ個体が少数派だったとする。ある時、何らかの原因でBへの抵抗遺伝子を持つ個体が全滅した場合、集団はAという病気には対抗できても、Bという病気が持ち込まれると全滅してしまう。

過去の温暖期に種多様性と遺伝的多様性を喪失したライチョウと周北極性植物たちは、この瞬間湯沸かし器のような未曾有の温暖化に耐えられるだろうか? これ以上、日本に高い山があるとでも?

私が生きている間に、ニホンライチョウは消えてしまうかもしれない。

葉の滴がそこに落ちるように

やっと新しい環境に馴染んできました。毎度のこと、引っ越しの度に苦労します。順応する技術は磨いてきたつもりです。しかしストレスであることには変わらず。

さて、人は環境が変化することを殊更嫌がります。

先祖代々の土地から立ち退いたり、古馴染みと離れたり、そういう急激な変化は頑として受け入れないし、仕事のやり方だって昔のやり方に固執し続けて「働き方改革」なんて、と鼻で笑うのです。

別に私の機嫌が悪いからこんなことを書きつづるのではなく、ただ単に私たちはそういうものだと言いたいだけです。良い悪いのはなしではないのです。私だって住む環境は変わりたくない、それが変化すれば苦痛、ストレスを感じ、抜け毛が増え、体重が上下し、飲酒量も愚痴も増えることがわかっているからです。犬猫は言うには及ばず、ライチョウだってイヤでしょう。本当に家畜やペットを身近に感じる人たちはその辺りを気をつけるのですが、野生生物となると途端にその気遣いがゼロになるのはなんなんでしょう。それはともかく。

他方、ゆっくりとした変化には極めて鈍感です。

カエルを水に入れてゆーーーっくり加熱していくと(やっちゃだめですよ。もののたとえです)カエルは自分が茹であがったことに気づかないそうで。

ビジネスの場で「茹でガエルになってはいけないよ」というのは、変化を敏感に感じ取って、どんどんと手を変え品を変えしなきゃいけませんよ。のんびりしてたら気づいた時には手遅れですよ、という例で使います。

環境問題に関していえば、我々完全に茹でガエルです。

あれ、なんだか台風の被害が大きかったな、たまたまかな、アメリカでは大きな山火事が起きてるって、でも日本は関係ないね。。。

私たち林学をやった人たちは知っている。100年に一度の豪雨(洪水)に備えて設計した堰堤が役にも立たず、堤防を水が越えてくるのは統計学的に考えてとても「異常」なのです。それは科学を学んでいるからそう感じるのです。

なんだかおかしいな。でも、温暖化は嘘だって言ってる人たちもいるし。。。

温暖化が嘘だと言っている科学者はごく少数です。たくさんの情報が溢れている中、自分に都合のいい情報だけを拾って信じるのも人の性質です。

300年経って、あの時温暖化がどうとか騒いでた奴らがいたが、ぜんぜん温暖化しなかったじゃないか! 。。。となったら、それは成功です。

科学的手法というのは、そうやって自分に都合の悪いことを排除せずに向き合う技術です。多くの科学者はこれを真摯に実践します。

科学が万能だー信じろーとは言いませんが、自然を自然のままに捉える、そういう技術なのです。行き着くところは御釈迦様の教えと変わらないと言えば飛躍になりますが、そんな気がします。

しっかりとあるがままをとらえて解を探せば、葉の滴がそこに落ちるように、そうしたいとかしたくないとか、そういうことではなくて、そういう風になるのだと思います。

私たちは、誰がどのようにわめこうが叫ぼうが「自然に即して生きる道」を模索せざるを得ない。もう、そうなっているかもしれません。

あとは、どう行動するか、ということでしょう。

でも、残念ながら。ライチョウの保護と温暖化を結びつけて考えたくない人たちは、こんな稚拙な文章は読まないのだと思います。。。