暖冬

雪がないんだ…

私の故郷の一つは秋田です。
久々に原住民より連絡が来たのですが、1月に入ってから雪が積もっていないそうで。

秋田は小正月に様々な伝統の祭りが開催されるのですが、これではなんとも…

積もっても積もらなくても厄介なのが雪。温暖化の影響、というのは短絡的ですが、気候の「振れ幅」が大きくなっているのは実感します。
「地球温暖化」という言葉だけつかまえて、現在の寒冷地で農作物が採れるようになるからいいじゃないかとか、気温が数度高くなったところで人類には影響しないとか、そういう浅い考えが問題を先送りにし続けてしまったかもしれません。

「地球温暖化」の恐ろしさというのは、予測不能な事象がグローバルに起こるということです。
例えば腸内の細菌目線で考えてみましょう、アナタの昨晩の飲みすぎ、食べすぎ、脂、食物繊維、口腔内から侵入してくる細菌、ビタミン等等等々、アナタの心がけ次第で、便秘になったり下痢になったり、緩いウンコが出たり、カッチカチのウンコになったり…あの時食べた、あの屋台の牛串、ちょっと生っぽかったかなぁと、ウイルス性胃腸炎で三日三晩苦しんで、後悔したって後の祭りです。ほんときついデスヨネ。でも、牛串を食べたその時、まさかその後、夜中10分に一回トイレに駆け込むような目に遭うなんて思ってもみないでしょう?(しかも和式) 食物についてやってきたウイルスに、体は激烈に反応し、腸内細菌たちは腸壁にしがみつき、ただただ水分でウイルスが押し流されて消えるのを待つのです。細菌叢が復活するのには相当な時間がかかるでしょう(と言っても、細菌目線の時間スケールで)。

温暖化ってそういう事です。単に気温が上昇するのではありません。
災害のようにやってくる、猛暑、冷夏、台風、豪雪、暖冬…地球の表面辺りの無機的環境が、今までとは違うパターンに変化するのです。
我々は堅固な家に暮らしているので、生きながらえたとして、例えばシカは豪雪年に大量遭難するとかしないとか。この暖冬は何をもたらすでしょう。イノシシの北進でしょうか? 日本で新たな病気が発生して、パンデミックを? 山に雪がない上に猛暑が重なって、大干ばつが?
けれども、一度食べてしまった牛串が元に戻らないように、今起こっていることはどうしようもない、止めようがない。今年は記録的暖冬です。桜の開花も早いでしょう。
せめて将来もっとひどいことにならないようにするには、今が肝心なのです。人類は滅びないかもしれませんが、突然のウイルス性胃腸炎を腸内細菌たちが耐え忍ぶのと同じように、相当期間、環境が安定(ヒトにとって)するまで、耐え忍ぶ未来かもしれません。

ライチョウの場合、短期的には育雛への影響、長期的には植生の変化が考えられます。例えば、ハイマツというのは雪で覆われるから、冬の乾燥や風害を避けられるのですが、雪が少なくて露出すると、強風に飛ばされた砂粒や氷で表面を傷つけられ、そこから乾燥してしまう。根っこの方の水分も凍っているので、枯死します。

そうなると、ライチョウの営巣環境が失われる、可能性があります。

でも、雪解けが早ければ、育雛期が長くなって繁殖にはいいかもしれない。

いやいや、雪解けが早すぎて、雛が食べられる柔らかい葉っぱがいいタイミングで出てこないかもしれない。

いろんな事を、考えなければいけないのです。短絡的に考えてはいけないのです。

ライチョウの居場所

10月から毎週出張という気張った生活してましたら、あっという間に12月になってました。

最近の周りのホットな話題は「なぜ若手が辞めるのか」です。私の個人的な見解としては、まず8割方の辞める理由は人間関係が原因です。上司や先輩が無視している(気がする)、理不尽な事を言う等。それから残り2割は仕事が合わない(ミスマッチ)、成長が感じられない雑用ばかりに感じる等。より良い給与と待遇が見込める会社があれば、ふっとそっちに行ってしまいます。

これらを総合的に私は「居場所」が無いから辞めると言ってます。

動物はご飯があって、寝るとこがあって、水が飲めれば取りあえずそこに留まります。そこを「居場所」と感じるからです。ライチョウの場合は、採食ができる草原、巣が作れて且つ隠れることのできる被覆(灌木)があれば、あとは分厚い羽毛によって熱中症にならない程度の低温であればよい。つまり、日本ならば高山です。アイスランドならどこでも条件を満たします。

草原が無ければ高山でもダメですし、気温が高すぎれば草原でもダメです。そこは、他の生物の居場所であって、ライチョウの居場所ではない。だから、もし環境が変化してライチョウの居場所が無くなれば、ライチョウは他のところへ行きます。ライチョウが少なくなっているとしたら、それは日本の高山が他の生物の居場所に変わりつつあり、ライチョウの居場所が消えているということです。シカやサルが高山に来るのは、本質的にはそういうことです。シカやサルが高山に来るからライチョウが減るのではなく、ライチョウの居場所がシカやサルが居られる場所に変容したからなのです。

そんなわけで。ライチョウの保護とは、すなわちライチョウの居場所を確保する事なのです。そのためには、ライチョウが居られる環境って何? と考えないといけません。

若手が辞めそうだから、おまえ話聞いてこいよ、と上司に指示された先輩が飲み屋に連れてったところで慰留は難しいですね? だって、上司や先輩が新人の居場所を作ってあげられていないのですから。

若手を変えようとしても無理です。彼等におじさんたちの価値観や理屈を理解する経験も余裕もありません。多様な価値観、経験をお持ちのおじさんが居場所を作ってあげなければ。そういう使命感を持つおじさんが増えて欲しいと願ってます(ということは、優しいおじさんも保護しなきゃいけないのです!)。

奥日光の自然

中禅寺湖から男体山

日光東照宮から、いろは坂を登ったところにある中禅寺湖は標高1,269mです。
日光市街が標高約600m、華厳の滝を挟んで中禅寺湖が標高1,269m、竜頭の滝を挟んで戦場ヶ原が1,400m、湯滝を挟んで湯ノ湖が1,475mと、湯川に沿って滝毎に段々になっています。
高標高の湖で、寒冷な気候も手伝って貧栄養の湖ですので、元々魚はいなかったようですが、明治以降に持ち込まれたようです。(当時は生態系の攪乱なんて概念は無かったのですね)

一周25kmのこの湖を、私は8時間で踏破します。修行です。修行。頭を空っぽにして歩くにはちょうどいいんです。
特に南岸部はうねうねとした岬を回る退屈な山道で、全体の半分以上がそんな調子なので、すれ違った人も数名、といった具合です(それも一周する人はいないのでは)。
見どころは、この写真のように湖越しの男体山。それから、クリンソウが咲く千住ヶ浜の辺りです。

ひさびさに行って(3年ぶり?)少し驚いたのは、湖周辺で数多くの観光開発が行われていたことです。なるほど。日光駅から湯ノ湖に至るまで、T鉄道さんがバスでつないでいるし、東京から日光までは電車で容易にアクセスできる。多くの海外からのお客さんを呼び込めますね。

日光一帯の自然は寒冷な気候が生み出した景観です。標高が100m上がれば平均気温が0.6℃下がるというのが、私の学生時代からの常套句ですが、日光市街と中禅寺湖では3.6℃も差があるんです。
戦場ヶ原は4.8℃も低くなります。だから貧栄養の湖や高層湿原ができるのです。
温暖化したら高層湿原の有機物分解速度が上がって湿原が消え、中禅寺湖の透明な色も失せるかもしれません。

気候正義

9月23日ニューヨークで開かれた国連気候行動サミットで、スウェーデンのグレタ・トゥンベリ氏(16歳)が演説を行いました。

NHK NEWS WEBにその全文和訳が掲載されていたので、読んでみました。

「私たちは大量絶滅の始まりにいるのです。なのに、あなた方が話すことは、お金のことや、永遠に続く経済成長というおとぎ話ばかり。よく、そんなことが言えますね」

出だしの辺りが人々の心をわしづかみにしてくる意欲的な演説だったようです。
内容としては、彼女のようなティーンエイジャーの立場から、地球温暖化の問題を先送りにし、あまつさえ若者にその解決を押し付けようとしている「現在の大人たち」への非難し、今すぐ解決せよとアクションを迫るものです。

彼女の主張は世代間の不平等を訴えている側面があります。
また、二酸化炭素の排出に関して言えば、二酸化炭素を大量に排出しているのは世界の中でも裕福な国々で、途上国は排出していません。
けれども、どんな世代もどんな地域の人も地球温暖化によってさまざまな不利益を被ることになります。
これは不平等ですね、という立場に立つのが気候正義(気候公平性)です。
もちろん、ライチョウを含めてあらゆる生物に拡張しても良いと私は考えています。

私が地球温暖化の問題に初めて触れたのは、学研のまんがサイエンス(あさりよしとお)で、それが90年代半ばのことなのです。そこから地球温暖化の問題は解決したかと言うと、全く解決せずに、排出量はどんどん増えていったのです。

じゃあ、どうすればいいのか、どうしたらよかったのか。
この点について、この日本という国はほとんど無策だったのかもしれません。野生生物の話で申し訳ないのですが、シカが問題だ、クマが問題だと比較的卑近な環境の変化には敏感に騒ぐものの、『地球』温暖化というと、途端にふんわりとしてしまいます。なんだか、北極の氷が解けるような、遠い国の氷河が消えるような。そんな感じなのかもしれません。
温暖化懐疑論というものがありまして、私も一時期懐疑論について多く調べていましたが、しかしながら懐疑論では近年の気候変動を説明できないのです。
ここ数年でその流れが変わってきたのかもしれないと思うのは、集中豪雨や台風の害が甚大化してきた後に、温暖化の影響と説明がつくようになってきてからです。
もっと早くにライチョウはその影響を受けて、数を減らしていたかもしれないのですが、やはり他人事で、実際に自分たちの喉元にナイフを突きつけられるまで、当事者意識というのは生まれないものかもしれません。ライチョウはいち早く温暖化の影響を受ける生物ですが、ちょっと身近さが足りなかったのではないかと思います。

とはいえ。ライチョウの生態をもっと追及することは、地球温暖化に対して「具体的な」アクションを迫るグレタ氏の意見を補強する物であります。

具体的にどうしたらいいのか。
脱プラスチックを叫ぶなら、タピオカ飲んでる場合じゃないのです。
働き方改革を叫ぶなら、とっとと帰らなければいけません。
Think globally, act locally
 一人でも多くの人がそうすれば、大きなムーブメントが出来上がります。

ライチョウで飯が食えるか

同窓会にて。

「今何やってんの?」
「経理だよ」
「すごーい、どこで経理の勉強したの???」
「……」
どうも、世の中、自分の学んだことしか職業にしちゃいかんような呪縛に囚われている人がいるようですが、そんなことはありません。
ちなみに経理も生態学も私にとっては大差ないことです。

修士1年の秋。
就職しよう、と思いました。

大学4年生から2年間ライチョウを追いかけ続けた私の心になぜそういうココロが芽生えたのでしょう。
大学の研究室に出入りしていて、研究職で身を立てるのは大変そうだとわかったこと。
それから、山小屋で、皿洗いや床磨きを一生懸命やって、「働く」ということがどういうことなのかが少しわかり始めたこと。
山の中で過ごして、当時ひん曲がっていた心根が、素直になったこと。
そして、なんだか、社会に出ても大丈夫なんじゃないか、と妙な自信がついたこと。

「アナタは絶対研究者向き。公務員や会社員には向いていない」と周りから言われていたけれども、そうだろうか? 周りがそう言っていたからそんな気がしていただけで、本当のところは社会に出てひと暴れするのが今生のお仕事なんじゃないのか?

そんなこんなで、ゼミのスキマを縫うように就職活動を開始。
後輩の卒論を見ながら面接を受け続け、納得のいく就職先に出会えました。

後々、人事の偉い人に「なんで採ってくれたんです?」と尋ねたところ「山小屋に入って何カ月も調査に出てたってとこだよねー」だそうで。
どこに放り込んでも(例えば僻地の古い事業所)生き残りそうだということで。
実際、その後、各地を転々としながら、ちょいとハードめの育てられ方(詳細省略)をして、今の今まで元気に生きてます。さらにしぶとく、図太くなってます。

先生からは「君はずっとライチョウの研究をしてくれるものだとばかり思っていた」と言われました。
すいません。私はみんなが思っているほど、研究職には向いていないんです。 どちらかと言えば、人を引っ張るよりも押し上げるのが得意なのです。

一方で、ライチョウの事はライフワークとして、サイドストーリーとして、老後の楽しみとして続けていければ良いのかなと思っています。
ライチョウの研究でご飯は食べられないから、他で飯のタネを見つけて、余った時間とお金をライチョウにつぎ込んだらよろしいのです。

ただ私が老後を迎える前にライチョウが滅ぶと、私の老後計画が破綻するので、それは食い止めたいところです。

台風と熱中症

台風15号の風が吹く中、普通に出勤しまして。
近場組と車、二輪車組は到着。
電車の遠方の人は「昼まで電車動かないって」「おとなしく休んでください…」

2011年の地震の時、東北のある都市で勤務してました。
あの時、上司が当然のように出社して言ったことには「連絡なんかしなくても皆出社してくるだろう」。
災害で、ガソリンの供給がなくなって、停電して、信号機も止まっていて、それでも職場に向かうのって、どうなんだろうと新入社員なりに思った記憶があります。

今回の台風で、やっとそういう議論が出てきて。10年以上かかって、ようやく気が付いたんですね…家で、家族を守る方が、会社に行くことよりよほど大事です。

停電で、エアコンが使えず熱中症になる方が出ています。エアコンが無ければ我々夏を乗り越えられないかもしれないのかもしれません。
熱中症の傾向を厚生労働省が公開していました。

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121413.html

残念ながら昭和の頃のデータは無いようですが、それにしても近年の死亡者数は顕著です。これは、高齢者が相対的に増えたことが一つ。そして、猛暑年の猛暑っぷりが激烈だという事なのかもしれません、

今回の台風は小型ながら大きなパワーを持って首都圏を直撃してきました。原因としては、海水温が高かった為ということで、突き詰めれば温暖化の影響の一つではないかということです。
台風、熱中症。いずれも温暖化の影響をジワリと感じます。

某国営放送の人気番組で「コアラは暑いから木に抱き着いている」という話をやっていました。ライチョウも暑いから日陰や雪田に行きます。
そして、彼らはエアコン持ってません。
私たちが夏を乗り切れなくなる前に、彼らが夏を乗り切れなくなるかもしれませんね。

那須岳の岩

那須岳の、茶臼岳山頂近辺の岩達は、ナッツ入りのチョコレートバーみたいなヒビが入ってました。

多分、凍結融解で砕かれたんじゃないかなぁ…と思います。確証はないです。石垣? とも思ったんですが、人工物ではないですよねー
山によって岩石が異なり、岩石が違えば砂礫も異なり、砂礫が異なれば地形も地質も異なり、地形も地質も異なれば植生も異なり、植生が異なれば生息できる生物も異なり…無機的環境から有機的環境に至るまで、生態学は考えることがたくさんあります。

ハイマツもガンコウランもクロマメノキもありますが、ライチョウの居ない山です。だからといって放鳥なんかしませんよう…居ないからには住めないのでしょう。

ライチョウに必要な物

富士山!

私にとって、8月と言えば富士山です。初めて登ったのは小学生の頃で、以来、夏と言えば富士山というイメージです。

富士山は過酷な山です。
まず水がない。正確に言えば、山頂付近は万年雪があって、火口に池もできているのですが。。。近年は山頂域の永久凍土も後退しているとの報告もありますし、実感として万年雪も量が減ってきている気がします。

そして、植生がない。あまりの強風で、カラマツは這いつくばり、5合目より上はオンタデばかりです。冬は水分が凍結することによる乾燥、夏も保水力の無いスコリア斜面では植物や蘚苔類が十分に生育できないのかもしれません。
(植木鉢の土に富士砂を混ぜて水はけをよくするぐらいですから)

で、ここにライチョウを放ったらという人がいるんですが、こんなところはライチョウにとっては砂漠も同じです。食べ物がないし、隠れる植生もありません。
しばしば勘違いされていますが、ライチョウは高山の鳥ではないのです。たまたま日本の高山が、ライチョウの生存に(辛うじて)適していたから、生き残れたというだけのことで、本来は周北極地域の草原の鳥なのです。高山あることではなく、気温や植生が重要です。

全く同じことが他の山でも言えます。
ライチョウにとって、「必要な物」が失われたら、そこの山のライチョウは絶滅します。
すなわち、今、ライチョウが地域絶滅した山域というのは「必要な物」が欠けてしまっているのです。
それがなんだったか。。。私たちはライチョウに訊いてみなければいけないのです。それが、調査研究をする、ということだと思います。

ニホンオオカミのこと

台風も去ったということで、地区の体協のハイキングに参加してきました。場所は奥秩父の三峰神社。

神社の表参道なので、入り口には狛犬か狐がいるもんですが、コイツは牙、爪、地面に巻いた尻尾、浮き出たアバラ。

オオカミなんですね。ここは、オオカミ信仰の神社のようです。

ニホンオオカミはかつて日本で普通に見られた野生生物ですが、様々な理由(狂犬病拡大や、家畜被害の為の駆除。他にも理由はあったかも知れません)から、狩られた結果絶滅しました。

決定的なことは猟銃の普及で、これが彼らを追い詰めました。日本で明確に、直接的に日本人が滅ぼした大型哺乳類です。

個々の議論は専門家に譲るとして、ヒトは他生物を滅ぼせる種だということは肝に銘じておきたいものです。

もちろん野生生物達と様々な軋轢はありますが、科学的に彼らを理解することが、共生への手がかりになるでしょう。

滝の涼しい風でリフレッシュ!

長梅雨

見張り中

梅雨が長引いてます。去年は短すぎ、今年は長すぎ、なんだか気候が極端です。

ライチョウにとって梅雨は長い方がいいのか、短い方がいいのかと長年考えてます。こういうことは長い間研究しつづけて、ようやく仮説が出来上がる位の話なのでサラリーマンの私には何とも言えませんが、梅雨も高山環境維持に一役買ってるかも? とは思ってます。

2019年7月20日 | カテゴリー : 自然環境 | 投稿者 : 事務局