ライチョウブログ

サイト管理人のブログです。

掲載されている画像、動画は基本的には登山道から撮っています。

調査研究の一環として特別な許可を得て、登山道外に立ち入っているデータについてはその旨記載します。

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梅雨入り

梅雨の雄

 ライチョウの場合、おおむねGW頃から縄張りの形成が始まって、卵を産み始めるのが梅雨入り頃になります。ライチョウの場合と書きましたが、大体野鳥全般に言えることではあります。

 ウズラで詳しく研究されていますが、長日条件によって雄の性ホルモンの分泌が高まると、攻撃性が増します。繁殖期のカラスなんかも人間をつつき出しますよね。

 結果として、ライチョウの雄は雌に対しては性衝動を、雄に対しては攻撃性を発揮するのです。縄張りを形成するというよりも、より攻撃性の高い雄は結果として広い縄張りを維持することになるのだと思われます。
 そして、夏至(6月20日ごろ)を超えると、ホルモンは抑制されていき、なんだかボーっとした鳥になります。あれだけ粘着質に他の個体を追い回していたのに、もはや日曜日のパパ状態です。

 というわけで、鳥がさえずるのも、踊るのも、羽を換えて着飾るのも、肉冠が真っ赤になるのも「太陽がまぶしかったから」なのですが。

 日本だと梅雨で、ちょっとわかりにくいですね。。。

 ちなみに鳥は眼だけでなく、脳で光を受容しているようです。目をつぶってても、頭皮を通して脳が長日短日を検知します。
 もちろん、哺乳類はできません。すごいですね、鳥。

いとしのMr.Blue

 とはいえ。

「お前等じゃあ何ができんだよ」という意見もごもっともなのです。

 一つ答えられるとするならば、小池都知事がおっしゃったように「お願いをさせていただく」ぐらいでしょうか。

 何を、と言えばできるだけ地球温暖化にブレーキをかけるような生活を心がけるです。

 今回のCOVID-19の問題でわかったことは、日本人(日本国内に住んでいる人という意味で、人種は問いません)はやはりよく言えば協調性のある国民性、悪く言えば同調圧力の強い国民性だと思います。

 悪い方向へこの特徴が出ると、自粛警察だとかいじめの問題が出てくる。良い方向に出てくれば、災害をなんとか乗り切ることができる。

 が、なぜか、環境問題に関して言えば、この性質が少しなりを潜めます。主張は様々ですが、たとえば「経済と科学技術の発展が最優先」とおっしゃる方もいます。

 それは私もそうであってほしいと願いつつも、「でも、私たちはこの複雑怪奇な地球環境というモノに生かされているのだから、それを大事にする気持ちを持つと、もっと幸せに暮らせるんじゃないでしょうか?」と言葉を添えるのです。何を優先するかはその人の自由ですが、ベースには地球があるのです。

 もう一つには、私たちが生活インフラが必要なようにライチョウにもインフラが必要です。ここに着目してはいかがでしょうと提案できます。

 環境省の方々はシカの問題やクマの問題について、人と獣の間に立って、妥協点を探る努力をずっと続けてこられました。しかしライチョウに関しては人との対立がないので、増やすことしか考えられなくなってしまっているように思います。

 下界で繁殖させようが現地飼育しようが、ライチョウが帰るべき自然のインフラ整備は必要です。

 高山の登山道を雨の日に歩いたことはあるでしょうか。まるで川の中を歩くようです。登山道が水の通り道となって、高山植物の土台になる土壌を浸食しています。ライチョウの採食植物、営巣環境も(全部とは言いませんが)登山道の浸食で失われているかもしれません。私が研究していた上ノ岳もずいぶん登山道の浸食が進み、まるで滝のようになっている。ずっと昔に作られた木の堰堤も為すすべがないようです。

 私たちはライチョウに必要な環境とは何か、ずっと調べ続けています。それによって、登山道はどこを通すのが良いのか、どう整備すべきか、明確に検討できるでしょう。ライチョウの為にインフラ整備する事が、国民のために豊かな自然を残すことになるのです。

アダムとイブ

 中央アルプスでライチョウが見つかったり、白山でライチョウが見つかったりしている…というのはなかなか興味深いのですが、彼らの個体群がもしも存続しているとしたら、あれらの山域の私たちに見えていないどこかに、少なくとも成熟した雄雌が何十羽もいるのではないかという話になります。

 でなければ、誰かがこっそり移送しているかです(かなり手間ですが)。

 確かに鳥は長生きです。オカメインコも環境さえよければ20年生きます。野生生物の寿命を調べるのは困難ですが、しかし、木曽駒ヶ岳で発見された個体が何十年も生きているということは考えづらいです。

 見かけなくなったということは、それなりに数が減っているのではないか。ということは、健康で長く生きられる環境ではないだろうということです。

 仮にもし見つかった個体が1羽で、それが最後の1羽だったら、地域絶滅を免れていたと言えるでしょうか?

 日本のトキの最後の一羽のことを思い出してみてください。あの時、議論になったように、つがいが居なければ種として存続できないのでアウトです。

 では、雄雌の二羽がいれば復活できるのか? アダムとイブとして、子孫を残し、その後繁栄していくでしょうか?

 もう一度、トキの話を思い出してみると、日本のトキが絶滅したのは、日本の水田環境に依存的だったためでした。水生生物や虫の少ない効率的な稲作を行ったから減ったとするなら、トキの復活と旧来の稲作とワンセットで行って、初めて「再導入」に至ったのです。

 ライチョウで同じことはできません。ライチョウが依って立つのはライチョウとともに日本に取り残された周北極地域の自然だからです。これは、私たちが作ったものではありませんが、私たちの活動が影響を及ぼした可能性はあります。ライチョウ保護とは日本の高山生態系保護そのもののことです。

 中央アルプスに、他の山岳から有精卵を持ち込んだとして、それが孵化して定着しても、増えることはないでしょう。数が増えても、それを養える環境がなければまた減るのです。単に元の山岳のライチョウ個体群と中央アルプスの環境にダメージを与えているだけです。

 環境省もこの不合理をわかっていると思うのです。しかし、何かやらなければならないから、仕方なしにやっている。だとすれば、山を守る人たちは、そろそろこのことを怒らなければいけないと思うのです。

登山も自粛

名札付け以外で裁縫したのは何十年振りでしょう(マスク製作)。

私の場合はリモートワークで対応可能な職種ですが、製造、社会インフラ(電気ガス水道鉄道バス)、小売業、理美容等々、職場に行かないわけにはいかない皆さん、多くの人と接触せざるを得ない皆さん、そして多くの医療関係者の皆さんには感謝の念が絶えません。

この人たちをウイルス感染から守るためには、それが可能な人たちは「家にいてください」という他ないのです。もう、とにかく、軽い運動以外で出歩くんじゃありません。


春になれば、登山して、このブログで書くネタも写真もたくさん出てくるわーとのんびり構えていたら、このような事態になってしまいました。

登山は感染しないからいいんじゃないの、 って?

私がもしウイルスに感染していて、それと気づかず長野や富山に行ったとして、道中どれだけの場所に立ち寄るでしょう。サービスエリア、道の駅、日帰り温泉、そういうところでクラスターが発生したという報告はありませんが、しかし、そういう例が無いわけではないでしょう。

本当に、そういう、わずかな接触からも全国に拡散していくのです。

とにかく、家にいること。今はそれが大事です。山は逃げないし、花はまた咲くでしょう。しばらくの間、登山んは自粛です。

資源と日本人

梅は咲いたか桜はまだか

トイレットペーパーの原料が何かも知らずに買い溜めに走る日本人のなんと多いことか。(国内古紙、または豪州の人工林から出る端材)

震災、台風、コロナと続いて、日本人買い溜め好きですね! とはいえこれも野性、本能なのかも知れません。

ライチョウの雄が他の雄をつつきだして、縄張りを確保しようとする姿も、マスクを手に入れようとする日本人の姿も同じ事。

「他の誰を押し退けてでもアタイは生き残るの」

ウイルスや菌の行動原理と同じです。

でも、野生生物だって分け合うこともあるんですよ。

ある時、巣を飛び立った雌ライチョウを追いかけていったら、そこには雌が二羽居て必死にガンコウランをついばんでいました。縄張りが、重複したんですかね。雄もつつき出したりはしないようでした(抱卵期になると縄張り防衛もさぼりがちになるせいかもしれません)。

狭い日本、少ない資源を分け合って生きてきた私たちです。分け合いましょう?