デンドロカカリヤ

コモン君がデンドロカカリヤになった話―安部公房「デンドロカカリヤ」

安部公房のデンドロカカリヤという作品は、とても奇妙なSFです。端的に言えば、冒頭に書いたように、コモン君がデンドロカカリヤになった話です。
安部公房の作品は、デパートの屋上に居た男が棒になったり(「棒」)、詩人が糸になってジャケツに編まれたり(「詩人の生涯」)することが多いですが、デンドロカカリヤという字面からどんなもんに変身したのかと読者は思うわけですが、こちらがそのデンドロカカリヤです。和名はワダンノキと言って、小笠原諸島に自生するキク科の木本植物です。キクなのに木本なんですね。

こちらは小石川植物園のリニューアルした温室です。作中出てくるのはK植物園。安部公房も実際に小石川植物園でこれを見たのではないか~というのですが、当時の個体なんでしょうか。

小石川植物園には「冷温室」という、矛盾を孕んだ温室があります。ここは常に冷涼な環境が保たれていて、高山植物のサンプルもここに保存されています。

つつましいクロマメノキ
つつましいガンコウラン

デンドロカカリヤも小笠原の固有種で、孤立しているという点では高山植物と似ています。絶滅危惧種ではないけれども、その島、その高山に固有の生態系を構成するのに欠かせないものです。

ライチョウ、オオカミ、トキ、ジュゴン…彼ら「目立つ」絶滅危惧種を助けたいと願う時、最終的には彼らを支えている生態系そのものを保存しなければいけないんだ、というところに行きつきます。(そういうところに行きつかない生態系保全というのは、ちょっといかがなものかという活動が多いように思います)
こうして、デンドロカカリヤやクロマメノキ、ガンコウランなどを本来の生育地から切り離し、温室を設けて保存するのは学術的に非常に重要な事ではありますが、保護とはまた違うものなのです。これは、「野生絶滅種」になった時のバックアップとして重要なのです。

動物に目を向けると、日本の動物園で見られる野生絶滅種はシフゾウです。彼らはもう野生の状態では生きているかどうかわからないです。

このままいけばそんなに遠くない未来にニホンライチョウも野生絶滅種となり、動物園で保存される存在になってしまうのかもしれません。

温暖化で北アルプス豪雪

地球温暖化が進行すると、今世紀末には北陸地方の豪雪頻度が高くなるというシミュレーション結果が東北大学、気象庁気象研究所、海洋研究開発機構、名古屋大学のチームによって示されました。
簡単に言えば、①温暖化によって日本海の冬季の空中への水蒸気供給量が増える②山岳地帯の上空では温暖化が進行しても0℃以上となるわけではない ということで、雪が増えるという仮説がシミュレーションによって補強されたということです(多分、もっと複雑な話ですが)。

「温暖化は証明されていない」とか言う言説も見られます。未来を予知するのには膨大な知見の収集と多くのシミュレーションが必要であるし、当然幾通りもの未来が見えます。
その不確かさを考えたとしても尚、現在の温暖化は人類のせいであるというのが「今のところ」多くの科学者が出した結論です。そして、人は地球上の生物、環境から多くの恩恵を受けており、これを人間が変えてしまうことは私たち自身の種の存続が危うくなるから今、行動を起こしましょうという提起がなされています。
もし、今まで通りの自然環境の恩恵を受け続けたいなら、私たちが生き方(ライフスタイル)を変えなければいけませんよ、というのがCOPで議論されている事なのです。証明されたときには手遅れだよ、だから先手を打つんだよ、と。

この「生き方を変える」というのが厄介です。
大西洋をヨットで渡るとか、家の中全部太陽光発電で賄うとか、だいぶディープな活動家の皆さんが叩かれがちなのは、「みんなにそれをやれっていうのか!」「非現実的だ!」という素朴な反発心の表れとともに、私たちは根源的に自分のライフスタイルを変えたくはないし、他人にとやかく言われたくない生き物であるということです。
部屋を片付けなさいと言われて息子が片付けないのと同じです。ちょっと違うか。

もちろん、人間以外の動物だってそうです

ライチョウもライフスタイルを変えて進化することは無理なので、今こんなことになっているのです。

温暖化によって、高山の雪が増えるか減るかしてもライチョウのライフスタイルは変わりません。もちろんライチョウが採食している植物のライフスタイルも変わりません。しかもライチョウも高山の植物も寒冷地の物なので、山の下方向への逃げ場はありません。だから環境が変わっても、変われない彼らは行き場を失います。

雪が増えたとしたら何が起きるのか、それとも起きないのか。

いくつか考えるべきことがあります。
・積雪期の積雪深
・融雪期の融雪速度
多く積もって一気に溶けるパターン、多くなるから数十年前のように溶けるのに時間がかかり8月まで雪田が多く残るパターン。この二通りのどちらかに寄っていく(と仮定する)。そうすると、
・植物が露出する時期
が変化します。前者なら大きなお花畑が一気に出現するようになり、後者ならお花畑が融雪線に沿って進行していきます。
恐らく、ライチョウの雛の採食物を考えた時に都合がいいのは後者です。

じゃあ、どっちのパターンなんだということですが、はっきりとは言えません。データが無いのです。
ですが、100年前よりライチョウが減っているとしたら、たぶん前者なのです。高山の積雪深を計るのは容易ではないのですが、今回の発表からすれば100年前より積雪量は増えているのでしょう。けれども雪が溶けるのも早い。そうなってしまったのではないでしょうか。

ライチョウも植物もライフスタイルを変えることはできません。
けれども人間はライフスタイルを変えてきました。変えた結果、幅を利かせるようになってしまいました。けれども、良い方向に変えることもできるのです。
ほんの少し、誰かの為に、できることから、行動を変えてみませんか?

ライチョウの居場所

10月から毎週出張という気張った生活してましたら、あっという間に12月になってました。

最近の周りのホットな話題は「なぜ若手が辞めるのか」です。私の個人的な見解としては、まず8割方の辞める理由は人間関係が原因です。上司や先輩が無視している(気がする)、理不尽な事を言う等。それから残り2割は仕事が合わない(ミスマッチ)、成長が感じられない雑用ばかりに感じる等。より良い給与と待遇が見込める会社があれば、ふっとそっちに行ってしまいます。

これらを総合的に私は「居場所」が無いから辞めると言ってます。

動物はご飯があって、寝るとこがあって、水が飲めれば取りあえずそこに留まります。そこを「居場所」と感じるからです。ライチョウの場合は、採食ができる草原、巣が作れて且つ隠れることのできる被覆(灌木)があれば、あとは分厚い羽毛によって熱中症にならない程度の低温であればよい。つまり、日本ならば高山です。アイスランドならどこでも条件を満たします。

草原が無ければ高山でもダメですし、気温が高すぎれば草原でもダメです。そこは、他の生物の居場所であって、ライチョウの居場所ではない。だから、もし環境が変化してライチョウの居場所が無くなれば、ライチョウは他のところへ行きます。ライチョウが少なくなっているとしたら、それは日本の高山が他の生物の居場所に変わりつつあり、ライチョウの居場所が消えているということです。シカやサルが高山に来るのは、本質的にはそういうことです。シカやサルが高山に来るからライチョウが減るのではなく、ライチョウの居場所がシカやサルが居られる場所に変容したからなのです。

そんなわけで。ライチョウの保護とは、すなわちライチョウの居場所を確保する事なのです。そのためには、ライチョウが居られる環境って何? と考えないといけません。

若手が辞めそうだから、おまえ話聞いてこいよ、と上司に指示された先輩が飲み屋に連れてったところで慰留は難しいですね? だって、上司や先輩が新人の居場所を作ってあげられていないのですから。

若手を変えようとしても無理です。彼等におじさんたちの価値観や理屈を理解する経験も余裕もありません。多様な価値観、経験をお持ちのおじさんが居場所を作ってあげなければ。そういう使命感を持つおじさんが増えて欲しいと願ってます(ということは、優しいおじさんも保護しなきゃいけないのです!)。

「せいめいのれきし」

誰か教えて 僕たちは今
ほんとうに進化をしただろうか
この進化樹の最初の粒と
僕はたじろがずに向き合えるのか
―中島みゆき「進化樹」より

カンブリア紀、オルドビス紀、シルル紀、ペルム紀…という古生代の時代区分。みんな知ってるもんだと思ってたら周りの誰も知らなくて。なんでやろと思ってたら、たまたま某無印な雑貨店で再会したのがこの絵本です(なんで無印にあったのかはよくわかりませんが)。

「せいめいのれきし」こいつが私に地学生物を叩き込んだのです。
しかも、改訂版が出てるじゃないですか。

生物や地学は学説がめまぐるしく変化している分野です。私が幼い頃、中生代の大量絶滅は、火山説、ウイルス説、隕石説などがありましたが、現在はユカタン半島に落ちた隕石説に落ち着きました。最近は冥王星が惑星から外されたなんてこともありましたね。二畳紀がペルム紀に変更になったなんて知りませんでした。

この本の初版が1964年。東京オリンピックの年なのです。
それから私たちはどれだけの科学的知見を積み重ねてきたでしょう。

幼い頃は、石炭紀の鱗木の森の水辺で遊びたいなぁとか妄想していただけですが、おじさんになってからこの本に触れると、また別の感触があります。経理をやっているので、大きな数字を易々と読めることも関係しているかもしれません。
この絵本のページが語る年代を、ちょっと書き出してみました。
1場ごとに年代が進んでいきます。

4,600,000,000年前
4,560,000,000年前
4,000,000,000年前
2,500,000,000年前
541,000,000年前 カンブリア紀
485,000,000年前 オルドビス紀
443,000,000年前 シルル紀
419,000,000年前 デボン紀
359,000,000年前 石炭紀
299,000,000年前 ペルム紀
252,000,000年前 三畳紀
200,000,000年前 ジュラ紀
145,000,000 年前 白亜紀
66,000,000年前 古第三紀 暁新世 始新世
34,000,000年前 古第三紀 漸新世
23,000,000年前 新第三紀 中新世
5,300,000年前 新第三紀 鮮新世
2,600,000年前 第四紀 更新世
11,000年前 第四期 完新世
400年前
200年前
100年前
25年前
1年前
半年前
1月前
昨日
昨夜
今朝

現在に近づくに連れて、列車が駅に着くかのように減速していきます。
幼い頃にはなんで恐竜の話から、庭の話に? と不思議でしたが、わずかな時間(37年程度)をこの世で過ごした今ならわかる気がします。
これによって、この長い「せいめいのれきし」が、私の手元に迫ってくる、そういう効果があるのです。

ライチョウさんたちは白亜紀には登場していた先輩たちで(少なくともライチョウさんの祖先はいたはずです)、大量絶滅を乗り切って、今私たちと暮らしています。
ヒト属が現れたのは更新世の頃です。極言すれば、鳥類だけでなく、昆虫、爬虫類、頭足類など、地球の大先輩は沢山いるのです。
彼らはかつての地球の気候で繁栄し、現在は’なり’を潜めているにすぎません。
私たちもいずれはそうなるでしょうか。

46億年の歴史を背負って、いま生きている生物たちは進化系統樹の先端にいるのです。それをヒトの勝手でボキボキと手折ってよいものでしょうか。
みんな一緒に進化してきたはずです。食う食われるという関係を持つことで、地震、噴火、隕石、気候変動を乗り切り、かいくぐってきた仲間です。
今のペースで温室効果ガスを出し続ければ、あと数十年で46億年を台無しにしてしまうかもしれません。

たくさんの科学者が警鐘を鳴らしています。
もっと、耳を傾けてもよいと思います。具体的にアクションを起こすのは少数の科学者ではなく、大勢の私たちです。

2019年11月3日 | カテゴリー : エコライフ | 投稿者 : 黒五

卒論と就活ルール

「就活ルール」令和4年春入社も現行維持 政府の連絡会議で決定

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191030-00000575-san-bus_all

ライチョウの研究の現場では現在も学生さんが活躍されています。

私が学生の頃(と書くとおじさんの昔ばなし)はライチョウに限らず野外で何か研究活動をする人たちの多くが、夏休みにデータを採るというのが普通でした。
演習林にこもったり、先生が行く調査に付いて行ってついでに自分のデータを採らせてもらったり。

ですが、現在は6月に面接解禁。
抱卵期のライチョウで何か書こうと思ったら、修士に進むこと前提になってしまいます。

じゃあ、いつ面接を解禁すべきか。
いつもいつでも採用活動就職活動、これがいいんじゃないかなと思います。
なんなら卒業してからゆっくりが一番いいと思います。

先輩たちが、超就職氷河期で心をボキボキと折られていくのを見てきました。そして今、その人たちを支援しようという政府の動きもありますが。

雇用システムを守る為。もちろん私は現在そういう雇用システムの恩恵に預かっていますが、一方で、既存の枠組みが維持できないほど人手不足です。ちょっと考えた方がいいと思います。

ライチョウ就職活動なくっていいなぁって、そんなことはありません。

生まれて翌年春まで生き残れるかがまず第一の関門。食べ物が少ない環境に生まれてしまっただけで、もうスタートから出遅れです。生まれた年の気候も問題で、ヒナの頃に柔らかい葉ッぱが出ているタイミングで孵化しなければ、秋まで持たないかもしれません。秋まで持ったとして、冬を越せるだけの羽毛と筋肉を蓄えられるかどうか。
そして、運よく春を迎えたとして、雌はいい雄に巡り合えるのか、雄はいい縄張りを獲得できるのか。より早く雪解けた場所を、できるだけ広く確保できれば、雌は産卵に向けてより多くの栄養を蓄えられます。そして、良い卵を産むことができます。

縄張り作り放題、生まれたヒナが全部育って繁殖に参加できる、そんな状況なら当然ライチョウ増えます。でも、増えないということは、どこかがおかしいのです。
何がどうなってんの、という。それはライチョウに訊いてみないといけないんですが。
現場に入れる学生さんが減っている…

ジレンマです。

続 脱プラスチック

たまたまコンビニ店員の知人が居たので、コンビニでのマイバッグ利用について意見を求めましたところ。
「こっちが袋に手を伸ばす前に言ってくれるといいわね」だそうで。

なるほど。

ベストは、最初に「この袋に入れてください」かもしれません。
「フクロイラナイデス」だと、商品がカウンターの上にごろごろしてしまいます。

ついでに「マイバッグ使う人いる?」と訊いたところ、
おじいちゃんおばあちゃんが使う、そうです。

なるほど。

ライフスタイルとして、それが当たり前な世代なのか、はたまた孫たちの為にと思っているのかは直接訊いてみないことにはわかりませんが。
主婦層はどうなのかと思いましたが、主婦はコンビニに行かないんでしょうかね。

では、己の未来がかかっている若者はというと。マイバッグを使う若者。
あんまり見ないかもしれません。
マイバッグを使うサラリーマン。見ませんねぇ…

ただ、既に持っているプラスチックバッグに「ここに入れて」という人や、使用済みのプラスチックバッグを使う人は老若男女問わず見かけます。ちょっとずつ、みんなでやっていけたらいいですね。

脱プラスチックの実践

日曜の夕方に某国営放送を見ていて知った事。インドは州によってはプラスチック禁止。

なんでも、高さ60m以上のゴミの山がニューデリーにあるんだとか。ちょっとでも減らすには、禁止したほうが早いと考えたのでしょう。

プラスチックは自治体によっては燃えるごみとして扱っています。私の住んでいる自治体は、プラマークが付いているものについては、汚れを落としてプラスチックごみとして出すことになっています。油がべったりとついているようなものは、燃えるゴミへ。食品トレーなどは皿洗いと同時に洗って乾かしてから出しています。で、プラゴミのボリュームの多いこと多いこと…燃えるゴミなんて生ごみと紙ごみぐらいしかないですね。

できれば、プラスチックを使わないように行動しようとするなら…ペットボトル飲料よりも缶、ビン飲料を選択する、買い物袋を使う、プラトレーに乗っている総菜を買わない、等、色々あるわけですが。
できることからコツコツと、ということで良いのだと思います。

しかし。スーパー以外のお店でのマイバッグ問題。これです。 本屋さんで「あ、フクロ要らないです」と言ったら、「では、店を出るまではレシートと一緒にお持ちください」
なるほど。袋が購入証明の役目を果たしているんですね。
そういえば、某大型量販店は出口でマイバッグの中身とレシートの内容チェックされてましたっけ。店側にもリスクはあるんですね。

それから、自分で袋詰めをしないコンビニエンスストア、ドラッグストアの場合。
「袋要らないです」「え、あっ、はい」
放置される商品。それをレジで詰める私。後ろに並んだ人から刺さる視線。
どうしたもんでしょう。

今のところのベストは、袋を広げてレジに赴き「これに入れてください」なんですが。
やはり、店員さんも戸惑います。

キャッシュレスで支払いスマートにしてるので、その分もたついても、許してください!


秋の雪

保護色MAX

大体15年ほど山に登ってますが、雪山はやりません。
残雪の山でライチョウさんを調査していたぐらいで、できれば雪は避けたいとこです。

が、2018年の10月は降られました。

この写真(下手というかなんというか。。。)を撮った前日にすでに雪が降ってまして。まあ、これなら大丈夫だろうと思っていたら、翌日も降りました。

下界は紅葉。薬師岳は、雪。
秋だけど、雪。

東北生活を5年ほどしていたので、雪自体は怖くないのですが、それでも「山で」となると緊張しました。
しかし、ライチョウにとっては、これが普通の景色なのかもしれません。季節の感覚も、下界の私たちとは異なるでしょう。

冬前のライチョウ

そんなこんなで、今年の秋は富山県の太郎山に行けませんでした。
行こうと思えば行けたんでしょうけど、長野がアレでは帰ってこれなかったです。また、近年はベテランの方が山でご不幸に遭われているので、無理は禁物です。

さて。埋め合わせは去年の薬師岳閉山祭の時に、薬師岳に登ってきた時の動画です。

ご覧ください。雪です。
ありとある、すべての服を着こんでも、氷点下。

そんな中でもライチョウさんは元気です。

つつきまわしているのはハイマツの実です。食ってるかどうかは判然としませんが、私はハイマツにライチョウがかかわっているのを初めて見ました。
実、食べれるんですかね。

10年以上見てても、発見があります。

台風の爪痕

野球場に流木があると邪魔だと思う

栃木県某市が被災して。たまたま私はそこの事業所の経理をやっていて。必然的に出張で行くわけですが。

着いてみれば河川敷に流木、土砂、ゴミ。洪水(砂防用語で洪水と言ったときは、普段より多い水量という意味です)の凄まじさがわかります。

幸いにして知り合いは無事、とはいきませんでした。床下浸水、床上浸水、車水没。心からお見舞い申し上げます。

帰りに、土手で犬の散歩をしていたおばさまに捕まり(私は見ず知らずの人に話しかけられる率高いです。野生生物を目撃しやすいのと無関係ではないかもしれません)、いやーすごいですねー、としばらく話し込んでしまいました。

渡良瀬川は、カスリーン台風で決壊しており、今回はどうだろうと冷や冷やしていたんですが。

「ほら、Kダムができたじゃない。そのおかげよ」某市民的にはKダムに感謝しているらしいことがわかりました。

Kダムって、うちの大学の演習林のとこだなぁ。なんだか懐かしくなります。

私達は自然が荒ぶる時とても無力です。砂防堰堤も、遊水池も、高規格堤防も、今回は耐えた。これらの砂防構築物は確率的に300年に一度(計画にもよりますが)という洪水に備えています。

確率的に、というのは過去のデータから…ということです。これから300年に一度のすごい洪水は100年に一度になってしまうかもしれない。10年に一度になってしまうかもしれない。

「天気の子」という映画がヒットしました。遠くない未来にあんな世界になってしまうかも知れませんね。

2019年10月16日 | カテゴリー : エコライフ | 投稿者 : 黒五